12月29日晴れ、風強。
5時30分に起床。6時に朝食をとる。6時45分に小屋を出る。まだ、夜は明けていない。雪が硬く、アイゼンがよくきく。中山峠から、尾根に出る頃、日の出が見えた。木々に覆われているので、急いで歩き、木の切れたところで、日の出の写真を撮る。足がかじかんでいて、寒い。今回、マミヤ7を持っていたので、写真を撮る。10枚しかとれない。フィルムを交換をするとき、手袋を外さなければならなく、かじかんだ手でするのでなかなかうまくできない。写真を撮りながら、天狗に8時15分に到着。しばし、写真を撮る。快晴で、浅間から北アルプス、乗鞍、八ヶ岳を遠望することができた。8時40分に天狗を下り、硫黄岳に向かう。頂上からすぐ鎖場があり、そこを過ぎると広い尾根となる。風が強く、凍傷にならないよう気をつける。9時6分に本沢温泉への分岐を過ぎる。しばらく行くと根石岳に至る。ここは風が強く、時たま飛ばされそうになる。そこを過ぎると登りになって、森林の中を行く。9時30分に登り着いた。木で覆われているので風がない。そこに、オーレン小屋への分岐があり、前来たときもそうだったが、冬期は、オーレン小屋への道は遭難が起きているので、禁止すると言う掲示がある。夏沢峠に雪道を行く。夏沢峠までは、木々の中を行くので、風が避けられるが、雪の吹きだまりがあって、そこに足を踏み入れると脚がすっぽり入る。夏沢峠には、10時15分に到着。硫黄の登る前にしばし休憩する。硫黄へは、登りで、何もなく、風が強い。時たま飛ばされそうになる。登り続け、ケルンが見え始めてから、しばらく歩く。11時50分に頂上に着く。雲もなく何も遮るものはない。30分ほど撮影をした後、赤岳鉱泉小屋に降りる。13時45分であった。赤岳鉱泉小屋の所に、ICI石井が作ったアイスクライミングの練習用のものがあった。上から水を流し凍らせたものであった。しばし休憩した後、下る。途中、橋のあるところで大同心の写真を撮った。美濃戸山荘には15時30分に着く、途中、これから入る登山者にずいぶん会う。この時間からすると赤岳鉱泉に入るのだろうが、入るのが遅いのではと思った。美濃戸のバス停には、16時10分に着いた。32分のバスに乗ったが、疲れもあってうとうとしていた。途中、外を見ると雪で覆われた八ヶ岳の上に月が出ていた。美しかった。
2009年12月29日火曜日
黒百合ヒュッテへ
12月28日(月)曇り時々雪
何年ぶりだろうか、冬山に行く。
大学生の頃、黒百合ヒュッテに泊まり、天狗、硫黄岳へと歩いたことがある。正月間近だったのだろうか、夕食に酒を振る舞われたことがあった。のんびりした時代だったのだろう。
今回、渋ノ湯までバスで入り、黒百合ヒュッテまで歩く。前日、天気が悪かったので、山全体が雪で覆われているのをバスから見て取れた。バスに渋辰の館の前でチェーンをつけたため、渋ノ湯に着いたのは、定刻より遅く、11時25分であった。
バスに乗っていたのは、10人に満たなかった。雪が舞っていたのと、積もっていた雪のせいか、ほとんどの者が、アイゼンをつけた。出発は、10時45分で、登山者カードに記入した後、橋を渡り、登り始める。尾根に出るまで、登りが続く。すぐに、高見石へ行く道にぶつかる。さらに登り続けると、八方台から来る道にぶつかり、尾根に出る。これからは、登りは緩やかになる。曇りとあって、木々の雪は溶けず、張り付いたままであった。黒百合ヒュッテには、14時35分についた。小屋の前にある温度計は、-12度であった。
小屋で、手続きを済ます。先に来ていた人たちが6人ほどいた。ストーブがあって、暖かい。食事を作って、しばらくしたら、眠たくなったので、薪ストーブのところで横になる。気持ちが良く、うとうとする。
夕方、カメラを持って若者が出たので、外に出た。雲はなくなり、きれいな夕焼けが見えた。18時に食事となり、小屋の食事としては、良い方である。食欲もあって、おかわりをする。何もすることはなく、ぼんやりとストーブのところで過ごす。外の様子を見に小屋の外に出る。雲はなく、月が煌々と輝いていた。オリオンが見えた。
おそらく、月がなければ、満天の星空なのだろう。外の気温は、-19度であった。20時には、布団に入る。シュラフを持って行ったがその必要はなかった。寝た場所が二階で、ストーブの熱で結構暖かかった。
何年ぶりだろうか、冬山に行く。
大学生の頃、黒百合ヒュッテに泊まり、天狗、硫黄岳へと歩いたことがある。正月間近だったのだろうか、夕食に酒を振る舞われたことがあった。のんびりした時代だったのだろう。
今回、渋ノ湯までバスで入り、黒百合ヒュッテまで歩く。前日、天気が悪かったので、山全体が雪で覆われているのをバスから見て取れた。バスに渋辰の館の前でチェーンをつけたため、渋ノ湯に着いたのは、定刻より遅く、11時25分であった。
バスに乗っていたのは、10人に満たなかった。雪が舞っていたのと、積もっていた雪のせいか、ほとんどの者が、アイゼンをつけた。出発は、10時45分で、登山者カードに記入した後、橋を渡り、登り始める。尾根に出るまで、登りが続く。すぐに、高見石へ行く道にぶつかる。さらに登り続けると、八方台から来る道にぶつかり、尾根に出る。これからは、登りは緩やかになる。曇りとあって、木々の雪は溶けず、張り付いたままであった。黒百合ヒュッテには、14時35分についた。小屋の前にある温度計は、-12度であった。
小屋で、手続きを済ます。先に来ていた人たちが6人ほどいた。ストーブがあって、暖かい。食事を作って、しばらくしたら、眠たくなったので、薪ストーブのところで横になる。気持ちが良く、うとうとする。
夕方、カメラを持って若者が出たので、外に出た。雲はなくなり、きれいな夕焼けが見えた。18時に食事となり、小屋の食事としては、良い方である。食欲もあって、おかわりをする。何もすることはなく、ぼんやりとストーブのところで過ごす。外の様子を見に小屋の外に出る。雲はなく、月が煌々と輝いていた。オリオンが見えた。
おそらく、月がなければ、満天の星空なのだろう。外の気温は、-19度であった。20時には、布団に入る。シュラフを持って行ったがその必要はなかった。寝た場所が二階で、ストーブの熱で結構暖かかった。
2009年12月25日金曜日
2009年12月24日木曜日
日常
晴れ、相変わらず寒い。
今日、久しぶりに現像をする。今回は、イルフォードの1Kを使う。結果は、かなり好ましい。暗部が汚くなく、階調も良い。黒が締まっている。通常の現像は、イルフォードの1Kで良いように思える。コンタクトプリントも12枚ほど焼く。フォルテの温調RCペーパーを使う。このペーパー、現像時間が長く、締まりが悪く、あまり良い感じがしなかったので、コンタクトプリント用にしてしまった。コンタクトを見る限り、そんなに悪いペーパーじゃないような気がする。でも、8x10は、バライタで焼くので、もう必要ない。
子供のクリスマスプレゼントを買いに立川をうろつく。リンクルンは、ビックでは売り切れで、結局、定価で、伊勢丹で買った。定価では、買わないのだろうね。ビックで、エプソンのプリンターで2Aに印刷された月光のインクジェットペーパーを見たが、モノクロは、なんだか黒は出ていないし、これでは、ちょっとねと言う感じであった。レタッチをしなければいけないのだろうね。
今日、久しぶりに現像をする。今回は、イルフォードの1Kを使う。結果は、かなり好ましい。暗部が汚くなく、階調も良い。黒が締まっている。通常の現像は、イルフォードの1Kで良いように思える。コンタクトプリントも12枚ほど焼く。フォルテの温調RCペーパーを使う。このペーパー、現像時間が長く、締まりが悪く、あまり良い感じがしなかったので、コンタクトプリント用にしてしまった。コンタクトを見る限り、そんなに悪いペーパーじゃないような気がする。でも、8x10は、バライタで焼くので、もう必要ない。
子供のクリスマスプレゼントを買いに立川をうろつく。リンクルンは、ビックでは売り切れで、結局、定価で、伊勢丹で買った。定価では、買わないのだろうね。ビックで、エプソンのプリンターで2Aに印刷された月光のインクジェットペーパーを見たが、モノクロは、なんだか黒は出ていないし、これでは、ちょっとねと言う感じであった。レタッチをしなければいけないのだろうね。
2009年12月6日日曜日
2009年12月5日土曜日
現像
雨
午後よりかなり雨が降った。夕方には、やんだが、寒い一日だった。
夜、フィルム現像をする。ブローニーと35mmそれぞれ一本。この前、ブローニーを失敗したので、前浴をしてステンレスの現像タンクを暖める。
この前、オリエンタルのシーガルを20枚ほど焼いてみて、デクトールを使ったら、それなりに、温黒調までは行かないが、冷黒調でもない感じで焼けて、好ましい。ただ、写真が出てくるまでにかなりの時間がかかる。ぴたりと時間があえば、良いのだが、少しでも時間が足りないと、黒が出ない。押せないのだ。やはり、使うのが難しい。特に、キャビネで焼く場合は、いちいち試し焼きをしていないので、難しい。
午後よりかなり雨が降った。夕方には、やんだが、寒い一日だった。
夜、フィルム現像をする。ブローニーと35mmそれぞれ一本。この前、ブローニーを失敗したので、前浴をしてステンレスの現像タンクを暖める。
この前、オリエンタルのシーガルを20枚ほど焼いてみて、デクトールを使ったら、それなりに、温黒調までは行かないが、冷黒調でもない感じで焼けて、好ましい。ただ、写真が出てくるまでにかなりの時間がかかる。ぴたりと時間があえば、良いのだが、少しでも時間が足りないと、黒が出ない。押せないのだ。やはり、使うのが難しい。特に、キャビネで焼く場合は、いちいち試し焼きをしていないので、難しい。
2009年11月6日金曜日
2009年11月1日日曜日
2009年10月24日土曜日
Acros現像時間
2009年10月23日金曜日
フォーマ印画紙
今日、formaのMG131をキャビネで50枚近く焼いてみた。fotoimpexで買ったもので、送られたものはずいぶん箱が汚れていて、使えるかどうか心配であったが、焼いてみたら、温調で、アグファのように焼きやすい。階調も、Adoxより、豊かなような気がする。暗部がつぶれないのだ。まだ、乾燥していないので、ドライダウンがどれくらなのか、わからないのだが、これをメインの印画紙にしても良いかなと思っている。印画紙が値上がりし、特に大キャビネをメインで使っているので、結構大量に必要とする。アグファがなくなってから、いろいろ印画紙を使ってきたが、どうも今ひとつなのだ。7年前のプリントを見ると、結構良い。イルフォードの1Kを使っていたのだと思う。今、使っても、昔のようにプリントできない。なぜだろうか。
2009年10月18日日曜日
榛の木尾根から六ツ石
晴れ
奥多摩で鴨沢行きのバスに乗り、境橋で降りる。5月にこのコースを登った。途中で、遠回りをして時間がかかったのだが、今回は、藪こぎをするのに時間がかかった。
境橋でバスを降りて、境集落への道を進む。すぐに、奥多摩古道と言う案内が左手にあって、その上に上っていく道がある。六ツ石という小さな案内が先に見える。案内が遠くにあるので見逃しやすい。5月に登ったので、今回は間違えなかった。その道を登っていくと、トロッコが走った橋がすぐに見える。このあたりは、人家があって、人の行き来があるので、草はあっても道ははっきりしている。そのまま登っていくと、植林した所を登っていって、最後の人家に着く。そこから、右手に細い道を登っていって、植林した所を通過すると、開けたところに出る。そのあたりから、カヤトが道に生い茂っている。カヤトを払いながら歩いて行くと、ものを運ぶ軌道に出会う。軌道をまたいで、軌道に沿って歩いて行くと、行き当たったところに、右へ六ツ石と書かれた掲示がある。人家があって、まわりをネットで囲んでいるのである。そのネットに沿って、歩いて行くのだが、カヤトがあって、道がわからなくなって歩きづらい。それでも、ネットに沿って歩くと歩けるのだが、ネットが切れてから、道がなくなっていた。ところどころカヤトが倒されたところがあって、人が歩いた跡があるのだが、それに従って歩くと、途中で途切れているのである。歩けずに、引き返したのだ。前日の雨で濡れていて、カヤトを倒して歩くうちに全身濡れてしまって、引き返そうかと思ったのだが、右手に木の生えているところがあって、そこを目指して、カヤトを倒しながら登る。木のあるところは、カヤトが生えていないので、歩けるのだが、そこを出ると、また、カヤトがある。このあたりになると、歩いた形跡がないようで、とりあえず、尾根に出ようと、左に藪こぎしながら登っていく。カヤト以外にトゲのある植物が生えていて、触ると痛い。なんとか、尾根にたどり着く。登りおえたところに小社がある。ここからは、道が整備されていて、快適な尾根道歩きができる。30分ほどすると、電波反射板があるところにでる。左側は植林されているが、右側は広葉樹の林で気持ちがよい。さらに30分ほど登ると水根への分岐に出会う。境に降りる掲示がないところを見ると、登山道としては、見捨てられているようだ。分岐で休んだ後、六ツ石を目指す。分岐を出て急な所を過ぎると、開けたところに出て、そこから、何度かアップダウンを繰りかえした後に、六ツ石に着く。六ツ石には人がいなかった。頂上で5分ほど休んだ後、石尾根を下った。奥多摩近くになって、登山者にあったが、今回、ほとんど人に会うことはなかった。静かな山歩きであった。
タイム
奥多摩駅 6:05
境橋 6:11-20
山の神小社 8:05
電波反射板 8:32
水根分岐 9:00-9:20
六ツ石 9:55
分岐 10:26
奥多摩駅 12:06
奥多摩で鴨沢行きのバスに乗り、境橋で降りる。5月にこのコースを登った。途中で、遠回りをして時間がかかったのだが、今回は、藪こぎをするのに時間がかかった。
境橋でバスを降りて、境集落への道を進む。すぐに、奥多摩古道と言う案内が左手にあって、その上に上っていく道がある。六ツ石という小さな案内が先に見える。案内が遠くにあるので見逃しやすい。5月に登ったので、今回は間違えなかった。その道を登っていくと、トロッコが走った橋がすぐに見える。このあたりは、人家があって、人の行き来があるので、草はあっても道ははっきりしている。そのまま登っていくと、植林した所を登っていって、最後の人家に着く。そこから、右手に細い道を登っていって、植林した所を通過すると、開けたところに出る。そのあたりから、カヤトが道に生い茂っている。カヤトを払いながら歩いて行くと、ものを運ぶ軌道に出会う。軌道をまたいで、軌道に沿って歩いて行くと、行き当たったところに、右へ六ツ石と書かれた掲示がある。人家があって、まわりをネットで囲んでいるのである。そのネットに沿って、歩いて行くのだが、カヤトがあって、道がわからなくなって歩きづらい。それでも、ネットに沿って歩くと歩けるのだが、ネットが切れてから、道がなくなっていた。ところどころカヤトが倒されたところがあって、人が歩いた跡があるのだが、それに従って歩くと、途中で途切れているのである。歩けずに、引き返したのだ。前日の雨で濡れていて、カヤトを倒して歩くうちに全身濡れてしまって、引き返そうかと思ったのだが、右手に木の生えているところがあって、そこを目指して、カヤトを倒しながら登る。木のあるところは、カヤトが生えていないので、歩けるのだが、そこを出ると、また、カヤトがある。このあたりになると、歩いた形跡がないようで、とりあえず、尾根に出ようと、左に藪こぎしながら登っていく。カヤト以外にトゲのある植物が生えていて、触ると痛い。なんとか、尾根にたどり着く。登りおえたところに小社がある。ここからは、道が整備されていて、快適な尾根道歩きができる。30分ほどすると、電波反射板があるところにでる。左側は植林されているが、右側は広葉樹の林で気持ちがよい。さらに30分ほど登ると水根への分岐に出会う。境に降りる掲示がないところを見ると、登山道としては、見捨てられているようだ。分岐で休んだ後、六ツ石を目指す。分岐を出て急な所を過ぎると、開けたところに出て、そこから、何度かアップダウンを繰りかえした後に、六ツ石に着く。六ツ石には人がいなかった。頂上で5分ほど休んだ後、石尾根を下った。奥多摩近くになって、登山者にあったが、今回、ほとんど人に会うことはなかった。静かな山歩きであった。
タイム
奥多摩駅 6:05
境橋 6:11-20
山の神小社 8:05
電波反射板 8:32
水根分岐 9:00-9:20
六ツ石 9:55
分岐 10:26
奥多摩駅 12:06
2009年10月13日火曜日
出張
晴れ
新宿に出張ついでに、ヨドバシに行って、写真用品を購入。1ガロンのデクトールを買おうと思ったのだけど、1リッター用しか売っていなかった。ビックカメラに行くと、印画紙用の薬品がなく、2リッター用のxtolを購入。この調子でいくと、早晩薬品も手に入らなくなるかも。その時には、調薬だなあ。しかし、そんなにデジタルが良いのだろうか?
夜、少し走る。2.4キロで、ほとんどコースタイム通りであるが、カロリーの消費は少ない。たった44カロリーである。心拍数は、最初、140くらいまであがり、それから下がった後、また140くらいまでになって、その前後で止まっていた。基本的に、一度心拍数ををあげた方が良いのだろう。
新宿に出張ついでに、ヨドバシに行って、写真用品を購入。1ガロンのデクトールを買おうと思ったのだけど、1リッター用しか売っていなかった。ビックカメラに行くと、印画紙用の薬品がなく、2リッター用のxtolを購入。この調子でいくと、早晩薬品も手に入らなくなるかも。その時には、調薬だなあ。しかし、そんなにデジタルが良いのだろうか?
夜、少し走る。2.4キロで、ほとんどコースタイム通りであるが、カロリーの消費は少ない。たった44カロリーである。心拍数は、最初、140くらいまであがり、それから下がった後、また140くらいまでになって、その前後で止まっていた。基本的に、一度心拍数ををあげた方が良いのだろう。
2009年10月12日月曜日
休み
曇りのち晴れ
昨日の疲れがあってか、何もする気になれず。ハッセルとローライで写真を撮る。nikon FM3aで少し撮る。レンズが45mmのパンケーキで、思った以上に作りがよい。35mmF2より良いのではないかと思う。FM3aの問題は、暗いところだとメーターが見えなくなって、マニュアルでは撮りづらいことだなあ。昔のカメラはみんなそうだったので、まあ、勘で撮っていた。F3のファインダーと比べるとファインダーは今ひとつ、外で撮るカメラだ。ただ、ボディは握った感じは、剛性があってなかなか良い。デジタルカメラのフニャフニャした感じと違ってい良いなあ。また、小さいのがよい。キャノンのカメラは、大きいし、レンズをそろえるようになると、これまた大きくなる。
撮りためていたデジタルカメラのファイルをキタムラに出す。G9のものは、色がほんとうにあやしい。EOS30dで撮った物は、CMOSが大きいので割と良い。レンズは、安物ズーム二本で撮っているが、ものとしては全くだめだなあ。写真はそこそこよいのだが。nikonあたりのが良いのかもしれない。でも、デジカメ一眼は、今のところ買う予定はない。EOSが今6000カットくらい撮っていて、一万カットを越えたら、考えようと思う。nikonに変えてしまうかも。
昨日の疲れがあってか、何もする気になれず。ハッセルとローライで写真を撮る。nikon FM3aで少し撮る。レンズが45mmのパンケーキで、思った以上に作りがよい。35mmF2より良いのではないかと思う。FM3aの問題は、暗いところだとメーターが見えなくなって、マニュアルでは撮りづらいことだなあ。昔のカメラはみんなそうだったので、まあ、勘で撮っていた。F3のファインダーと比べるとファインダーは今ひとつ、外で撮るカメラだ。ただ、ボディは握った感じは、剛性があってなかなか良い。デジタルカメラのフニャフニャした感じと違ってい良いなあ。また、小さいのがよい。キャノンのカメラは、大きいし、レンズをそろえるようになると、これまた大きくなる。
撮りためていたデジタルカメラのファイルをキタムラに出す。G9のものは、色がほんとうにあやしい。EOS30dで撮った物は、CMOSが大きいので割と良い。レンズは、安物ズーム二本で撮っているが、ものとしては全くだめだなあ。写真はそこそこよいのだが。nikonあたりのが良いのかもしれない。でも、デジカメ一眼は、今のところ買う予定はない。EOSが今6000カットくらい撮っていて、一万カットを越えたら、考えようと思う。nikonに変えてしまうかも。
2009年10月11日日曜日
2009年10月7日水曜日
2009年10月5日月曜日
2009年10月4日日曜日
ジョギング
晴れのち曇り
山登りのトレーニングをかねて、走っている。8月より近くの丘陵を走っている。登りがあって、負荷がかかる。garminのforerunner 405CXを買ってから、garmine connectにデータが蓄積されて、トレーニングの励みとなる。今日は、いつもより早く走れた。そのためか、消費カロリーがいつもより少ない。走っている途中苦しいのだが、終わると調子が良いので、やるしかないなあといつも思う。今回は、garmin connectからデータを出して、それをeverytrailに読み込ませてみた。photoTrackrもあるのだが、精度的に見れば、garminの方が良いので、今ではほとんど使わない。まあ、いらないかなあと思っている。
山登りのトレーニングをかねて、走っている。8月より近くの丘陵を走っている。登りがあって、負荷がかかる。garminのforerunner 405CXを買ってから、garmine connectにデータが蓄積されて、トレーニングの励みとなる。今日は、いつもより早く走れた。そのためか、消費カロリーがいつもより少ない。走っている途中苦しいのだが、終わると調子が良いので、やるしかないなあといつも思う。今回は、garmin connectからデータを出して、それをeverytrailに読み込ませてみた。photoTrackrもあるのだが、精度的に見れば、garminの方が良いので、今ではほとんど使わない。まあ、いらないかなあと思っている。
2009年10月3日土曜日
フィルム現像
雨のち曇り
今日は、保育園の運動会だったが、雨のため延期。昨日、11時くらいに目が覚めて、しばらくして8月に撮ったアクロスを現像。XTOLのデータがないので、ずっと現像しないでいた。まあ、コダックのフィルムを使っているのだから、T-MAXあたりを使えば良かったのだけど、ふらふらとアクロスを買ってしまったというわけである。今日、午前中にフィルム現像。まあ、まあと言うところか、焼いてみないとわからないなあ。
データシートを見てみると、D-76あたりのデータが参考になりそうなので、アクロスのデータをとるかなあと思っている。ネット上にあるのだが、減感してあって、今ひとつ、よくわからないのだ。
今日は、保育園の運動会だったが、雨のため延期。昨日、11時くらいに目が覚めて、しばらくして8月に撮ったアクロスを現像。XTOLのデータがないので、ずっと現像しないでいた。まあ、コダックのフィルムを使っているのだから、T-MAXあたりを使えば良かったのだけど、ふらふらとアクロスを買ってしまったというわけである。今日、午前中にフィルム現像。まあ、まあと言うところか、焼いてみないとわからないなあ。
データシートを見てみると、D-76あたりのデータが参考になりそうなので、アクロスのデータをとるかなあと思っている。ネット上にあるのだが、減感してあって、今ひとつ、よくわからないのだ。
2009年10月1日木曜日
2009年9月9日水曜日
高水三山
曇り
トレーニングをかねて、高水山に行く。テント・シュラフなどほぼテント泊ができる荷物を持って歩く。高水山までは、ほぼ登りで、ザックを担ぎ慣れないせいか、肩が痛かった。岩茸石山では、すっかりガスって、何も見えなかった。頂上で休んでいたのは、3人ほどで、おにぎりと食べるとすぐに下る。惣岳山を直登する。御岳に着いたのは、13時40分であった。電車がこないので、近くの食堂に入って、湯麺を食べた。
Takamizu Sanzan at EveryTrail
Map created by EveryTrail: Travel Community
トレーニングをかねて、高水山に行く。テント・シュラフなどほぼテント泊ができる荷物を持って歩く。高水山までは、ほぼ登りで、ザックを担ぎ慣れないせいか、肩が痛かった。岩茸石山では、すっかりガスって、何も見えなかった。頂上で休んでいたのは、3人ほどで、おにぎりと食べるとすぐに下る。惣岳山を直登する。御岳に着いたのは、13時40分であった。電車がこないので、近くの食堂に入って、湯麺を食べた。
Takamizu Sanzan at EveryTrail
Map created by EveryTrail: Travel Community
2009年8月27日木曜日
唐松岳・五竜岳
8月25日曇り〜8月26日晴れ
立川であずさ3号に乗る。自由席は満員で、八王子まで席は空かなかった。8月の初旬の時は、座れたのだが、下旬の方が仕事で乗る人が多いかもしれない。
白馬に11:35に着く。駅前に降りると懐かしい。以前は、よくスキーで白馬に来ていて、駅前はあまり変わっていない感じがした。駅前のバスにのって、八方のバスステーションまで行く。5分足らずで、そこからゴンドラ乗り場までは歩いて行く。8月の終わりだろうか、あまり観光客はいなく、閑散としていた。ゴンドラとリフトを乗り継いで、八方池山荘まで行く。観光客はいて、賑わっている。尾根を見ると八方池まで歩く観光客の列が見れた。少し休んで、歩き始めた。今回はテント泊と決めていたので、荷物は重いが、ザックが小さいのか、あまり荷物が入らない。カメラは、コンタックスとG9であった。
時々霧が出て、視界がみえない。八方池には50分ほどで着いた。荷物の割には、良いペースであった。八方池の方に道が続いて、子供連れの観光客が歩いてた。ここまでなら、子供連れでも良いかなと思った。
ここからさきは、稜線を歩いて行く。ほとんど急な坂はない。途中、一人登山者をおいこしたが、それ以外、下りのパティーが何組か出会っただけであった。唐松岳頂上小屋の近くになって、尾根へ行く道がでてくるが、冬期用の道でいけなくはないのだろうが、行くなと印がある。尾根を巻きながら進む。何カ所か崩壊箇所があって、落石注意とあって、いそいで行く。いくつかピークらしきものを越えて、尾根にでると右側に小屋があった。
ガスっていて、風が吹いて寒かった。小屋で手続きを済ませて、テント場に向かう。小屋は、工事しており、ブルドーザーが道を造っていて、テント場へ行く道がわかりづらい。下の方に行く道をたどって行く。テント場は、棚田のようになっていて、小屋に近いところに、二張りあって、そこのところにテントを張る。あとで、大学生のパティーが下にテントを張ったので、4張りしかなかった。
テントを張り終えて、休憩して唐松岳へ向かう。途中、降りてくる人はいたが、結局、頂上には誰もいなかった。ガスっていて、視界が悪かった。テントに戻って、食事を作り始めていると、次第にガスがなくなって、視界が開けてきた。月が出ていて、ちょうど五竜の横に見えた。夜、浅い眠りを繰り返しながら眠る。3時くらいに、となりのテントで起きる音がしてからは、眠れなかった。
4時半に起き、食事を作る。快晴であった。剣が朝日を受けてうっすらピンク色に染まるのが見えた。唐松岳へ行く尾根まで出てみると、雲海が見えた。雲海を見るのも何年ぶりだろうか、泊まらなければやはり見られない。テントをたたんだのだが、水分を含んでいて重たくなった。隣のテントでは、霜が降りていると言っていた。
小屋の前までザックを持って行く。写真をひとしき撮った後、五竜に向かおうとしたとき、小屋から病人らしき人がヘリコプターを待つため運び出された。
すぐに岩稜の登りになる。ザックが重いので慎重に歩く。鎖のついたところをトラバースする。快晴でガスもなく、谷底まで見える。とても怖い。自分が高所恐怖症であることを思い出した。なんどか、鎖場を行くが、五竜から来る人もいて、正直、途中でであったらどちらかがもどるしかないなあと思った。岩稜を過ぎると尾根道になるが、五竜、剣を見ながら歩く。途中、鞍部に降りて、それから登り返すと五竜が大きな山塊となる。ゆっくりと登っていくと、遠見尾根を示す標示のある分岐に着いた。下に五竜小屋が見えて、降りていく。五竜小屋の前で休んでいると、チャリンと音がした。小屋の屋根で布団を干していた女の子が、それ私のですと言って、降りてきた。探すのだが見つからない。あきらめきれずしばらく探していた。
大休止をした後、カメラとGPSをもって五竜に向かう。地図から見るとたいした距離ではないようだが、歩いてみると頂上付近になって、鎖場を何度か越えて、さらに鎖はないが岩の間を登るところがあって、時間がかかる。コースタイムより10分ほど早く、頂上に着く。10:30であった。遠くに鹿島槍ヶ岳が見えた。記念写真を撮ってもらい、5分足らずで下る。下りは思ったより、危ない感じはしかった。
小屋で少し休んで、分岐まで戻る。分岐から登ってしばらく行くと、白岳に着いた。それから、西遠見までかなり下っていく。途中、遠見尾根を登ってきたパーティーに何組も出あう。聞いてみると7時くらいにゴンドラに乗って登ってきたと言っていた。遠見尾根は、八方と同じようにゴンドラがあるので、登りやすいのだろうか。大遠見をすぎて、しばらく行くと登りになるいい加減登ったところが中遠見で、そこからまた下りとなる。小遠見をすぎて、地蔵の頭に15:00に着いた。リフトの下を15分ほど歩き、アルプス平に着いた。ゴンドラで降りていくとき、下の方でスキーをして、池に飛び込むのが見えた。山麓駅にタクシー止まっていたので、神代までタクシーで行った。帰り、松本まで大糸線で行って、あずさに乗り換え帰った。
タイム
25日
白馬 11:35
八方 11:40
八方池山荘 12:50
八方池 13:40
唐松岳頂上小屋 15:45
26日
唐松岳テント場 6:35
白岳 9:13
五竜小屋 9:17-35
五竜岳 10:30-35
五竜小屋 11:20-30
白岳 12:00
西遠見 12:50
大遠見山 13:15
小遠見山 14:15
地蔵の頭 15:00
アルプス平駅 15:15
立川であずさ3号に乗る。自由席は満員で、八王子まで席は空かなかった。8月の初旬の時は、座れたのだが、下旬の方が仕事で乗る人が多いかもしれない。
白馬に11:35に着く。駅前に降りると懐かしい。以前は、よくスキーで白馬に来ていて、駅前はあまり変わっていない感じがした。駅前のバスにのって、八方のバスステーションまで行く。5分足らずで、そこからゴンドラ乗り場までは歩いて行く。8月の終わりだろうか、あまり観光客はいなく、閑散としていた。ゴンドラとリフトを乗り継いで、八方池山荘まで行く。観光客はいて、賑わっている。尾根を見ると八方池まで歩く観光客の列が見れた。少し休んで、歩き始めた。今回はテント泊と決めていたので、荷物は重いが、ザックが小さいのか、あまり荷物が入らない。カメラは、コンタックスとG9であった。
時々霧が出て、視界がみえない。八方池には50分ほどで着いた。荷物の割には、良いペースであった。八方池の方に道が続いて、子供連れの観光客が歩いてた。ここまでなら、子供連れでも良いかなと思った。
ここからさきは、稜線を歩いて行く。ほとんど急な坂はない。途中、一人登山者をおいこしたが、それ以外、下りのパティーが何組か出会っただけであった。唐松岳頂上小屋の近くになって、尾根へ行く道がでてくるが、冬期用の道でいけなくはないのだろうが、行くなと印がある。尾根を巻きながら進む。何カ所か崩壊箇所があって、落石注意とあって、いそいで行く。いくつかピークらしきものを越えて、尾根にでると右側に小屋があった。
ガスっていて、風が吹いて寒かった。小屋で手続きを済ませて、テント場に向かう。小屋は、工事しており、ブルドーザーが道を造っていて、テント場へ行く道がわかりづらい。下の方に行く道をたどって行く。テント場は、棚田のようになっていて、小屋に近いところに、二張りあって、そこのところにテントを張る。あとで、大学生のパティーが下にテントを張ったので、4張りしかなかった。
テントを張り終えて、休憩して唐松岳へ向かう。途中、降りてくる人はいたが、結局、頂上には誰もいなかった。ガスっていて、視界が悪かった。テントに戻って、食事を作り始めていると、次第にガスがなくなって、視界が開けてきた。月が出ていて、ちょうど五竜の横に見えた。夜、浅い眠りを繰り返しながら眠る。3時くらいに、となりのテントで起きる音がしてからは、眠れなかった。
4時半に起き、食事を作る。快晴であった。剣が朝日を受けてうっすらピンク色に染まるのが見えた。唐松岳へ行く尾根まで出てみると、雲海が見えた。雲海を見るのも何年ぶりだろうか、泊まらなければやはり見られない。テントをたたんだのだが、水分を含んでいて重たくなった。隣のテントでは、霜が降りていると言っていた。
小屋の前までザックを持って行く。写真をひとしき撮った後、五竜に向かおうとしたとき、小屋から病人らしき人がヘリコプターを待つため運び出された。
すぐに岩稜の登りになる。ザックが重いので慎重に歩く。鎖のついたところをトラバースする。快晴でガスもなく、谷底まで見える。とても怖い。自分が高所恐怖症であることを思い出した。なんどか、鎖場を行くが、五竜から来る人もいて、正直、途中でであったらどちらかがもどるしかないなあと思った。岩稜を過ぎると尾根道になるが、五竜、剣を見ながら歩く。途中、鞍部に降りて、それから登り返すと五竜が大きな山塊となる。ゆっくりと登っていくと、遠見尾根を示す標示のある分岐に着いた。下に五竜小屋が見えて、降りていく。五竜小屋の前で休んでいると、チャリンと音がした。小屋の屋根で布団を干していた女の子が、それ私のですと言って、降りてきた。探すのだが見つからない。あきらめきれずしばらく探していた。
大休止をした後、カメラとGPSをもって五竜に向かう。地図から見るとたいした距離ではないようだが、歩いてみると頂上付近になって、鎖場を何度か越えて、さらに鎖はないが岩の間を登るところがあって、時間がかかる。コースタイムより10分ほど早く、頂上に着く。10:30であった。遠くに鹿島槍ヶ岳が見えた。記念写真を撮ってもらい、5分足らずで下る。下りは思ったより、危ない感じはしかった。
小屋で少し休んで、分岐まで戻る。分岐から登ってしばらく行くと、白岳に着いた。それから、西遠見までかなり下っていく。途中、遠見尾根を登ってきたパーティーに何組も出あう。聞いてみると7時くらいにゴンドラに乗って登ってきたと言っていた。遠見尾根は、八方と同じようにゴンドラがあるので、登りやすいのだろうか。大遠見をすぎて、しばらく行くと登りになるいい加減登ったところが中遠見で、そこからまた下りとなる。小遠見をすぎて、地蔵の頭に15:00に着いた。リフトの下を15分ほど歩き、アルプス平に着いた。ゴンドラで降りていくとき、下の方でスキーをして、池に飛び込むのが見えた。山麓駅にタクシー止まっていたので、神代までタクシーで行った。帰り、松本まで大糸線で行って、あずさに乗り換え帰った。
タイム
25日
白馬 11:35
八方 11:40
八方池山荘 12:50
八方池 13:40
唐松岳頂上小屋 15:45
26日
唐松岳テント場 6:35
白岳 9:13
五竜小屋 9:17-35
五竜岳 10:30-35
五竜小屋 11:20-30
白岳 12:00
西遠見 12:50
大遠見山 13:15
小遠見山 14:15
地蔵の頭 15:00
アルプス平駅 15:15
2009年7月22日水曜日
ウラジオストック(4)
7月19日(日)曇り
朝、薄日が差したが、結局は、曇りとなった。晴れたら、道路が混むから、11時に迎えにくると言っていたので、ホテルには11時には戻る。
道路は、それほど渋滞もせず、空港には、12時前には着いた。出発便が14時であったのでずいぶん待つことになった。その間、国内線のロビーに行ってみる。ここで食事をするればよかったのだが、荷物が気になって国際線と言っても、狭い場所でしばし待つ。高校生と思われる集団が30人ほどいた。手続きを済ませて、待合ロビーに行く。そこで売られているものは、倍以上したのでないかと思う。何も買わずにひたすら待つ。
飛行機は定刻通りに離陸し、上昇が終わるとすぐに食事が出て、食事が終わると着陸態勢に入った。新潟空港に飛行機が着陸したとき、高校生の集団から歓声が上がっていた。どこでも同じだ。
新潟空港で、お土産に笹団子と魚の粕漬けを買って帰る。日本は、蒸し暑かった。新潟で新幹線に乗り、車窓の人となる。乗り換えて、家の近くに来たとき、電車から虹を見た。きれいな虹であった。
2009年7月21日火曜日
ウラジオストック(3)
7月18日(土)小雨
朝から、小雨が降っていて肌寒い。特に見るところがないので、水族館に行ってみる。
水族館は、小さなもので、特にこれといものではない。朝で、雨と言うこともあり、水族館には人が少なかった。家族連れが少しで、なにやら話しているがわからない。魚を見ても、これはチョウザメかというくらいで、書かれているものが読めないのでどうしもうない。水族館を出て、アムール湾に面した埠頭に行ってみる。魚を釣っている人がいて、そこでぼんやりしていると、ビデオカメラを持った東洋人が3人やってきて、撮り始めた。わりと大胆に撮っているので大丈夫かなと思ったのだが、その一人が、韓国語で話しかけてきたので、英語で返事をした。日本人だとわかると、そのうちの一人が、日本語で話しかけてきた。彼の奥さんが、日本人で、日本語を話せるけど、英語はだめで、ウラジオストックに来たのは、テレビの取材で、韓国人にとってウラジオストックは特別の地だという。三日前に来たときは、天気も良かったが、帰る当時に天気が悪いのは残念であると言った。三人が去った後もしばらくぼんやりとして釣りをしているのを見ていたが、また、鷲の巣展望台に向かう。
鷲巣の展望台で写真を撮っていると、デジカメを持った高校生の思われる女の子と母親連れが来たので、写真を撮ってもらった。やはり、英語は通じなかった。
夕方、朝行った埠頭に行ってみた。ぼんやりみていると、迷彩服を着た男の人が、つりを始めた。魚が釣れ、ヘルプミーと言ってカメラを取り出したのである。最初なんだかわからなかったが、写真を撮ってくれと言うことで、魚と一緒に写真を撮ってあげた。その時釣った魚が一番大きかった。ベラルーシから来ていて、ウラジオストックは初めてでと言うことであった。服装からすると、軍人のようだったが、気になるのは、釣った魚どうなるのだろうかと言うことである。初めて来た場所で、魚を料理することはできるのだろうか。
8時近かったので、ホテルに帰る。海岸沿いの道があって、土曜日と言うことか、若者の集団が見られる一方で、軍人の集団が警戒にあたっていた。こぜりあいがあるのだろうか。
ホテルに戻って、中国人に声をかけられた。中国語がわからないので、英語で答えたが、どうも怪しい女性を紹介するというものであった。しかし、今回、中国人や韓国人の観光客をたくさん見た。日本から行くより、ウラジオストックは中国人や韓国人にとって近いのだ。ヨーロッパの都市と言えば言えるから、旅行の場所となるのであろう。
夜、ホテルのレストランでパーティーが開かれていた。レストランで食事をしょうと思っていたが、残念ながらできなかった。夜更けまで、ディスコミュージックが聞こえた。
2009年7月20日月曜日
ウラジオストック(2)
7月17日(金)曇り
今日は、昨日と違って、天気が良くない。時たま、小雨が降る。
とりあえず、駅に向かって歩く。お金を換えなければいけないのだ。駅前は、通りになっており、その前に広場がある。レーニン像があり、その下で様々なものを売っている。肉、チーズ、パン、お菓子、スーパーより安いのだろう。そこをしばらく見て、駅から連絡通路を通り、中央広場に向かう。中央広場では、さまざまなものを売りに来ている。ここですべてがまかなえる。驚いたのは、車に日本語が書かれているのだ。中古の車が輸入され、使われているのだ。そこをしばらく見て、鷲の巣展望台に向かう。
途中、潜水艦C-65博物館、中に入らなかったけどね、アンドレイ教会を見る。教会で、ロシア語で書かれているので、まったくわからないのだが、絵から見るとキリストの誕生についての冊子を見ていると、そこのおばさんがロシア語で持って行って良いと言うので、何部かもらった。
今回、ロシア語がまったくわからなくて、文字を読めないで、推測もできない。英語は通じないし、ほとんど身ぶりだけで、なんとか過ごした。英語が、国際語なんて、誰が言っているのだろうか、まったく、通じなかった。
鷲の巣展望台は、高台にあって、ウラジオストックの金角湾を見渡せる。そこでぶらぶらしていると、結婚式をあげたばかりのカップルが、友人や親戚と一緒に来て、写真を撮っている。それも何組も来ては写真をとる。見ていると、カップルは様々で、一様に言えるのは、若いと言うことだ。日本じゃ、なかなか若いカップルというのは、見かけないなあ。
鷲の巣展望台から、ケーブルカーを使って下に降りる。いくらかわからないので、とりあえず、札を渡すと、おつりをくれた。0.50pで思ったより安い。
そのまま、国立極東技術大学の通りを歩いて、駅広場にいった。途中、パンや飲み物を売っている所によって、食事をする。やはり、身ぶりでなんとか買う。少し休んだ後で、駅に向かう。市場は開かれていて、賑わっていた。途中、買ったリンゴを見たら、アメリカからの輸入だった。
ウラジオストック(1)
7月16日
新潟から、ウラジオストックに行ってみた。
朝、いつもより早く起きて電車にのる。新潟まで行かねばならないのだが、最近JRはよく止まるので、旅行社の指示の電車に乗ることにして、早めに行く。東京行きに乗ったつもりだったが、どういうわけがでない。ずっと本を読んでいて、時たま表示を見るが、おかしいと思いながら、のっていたのだ。ふと気がつくと、乗っている電車は、東京行きでない、乗り換えする必要があった。あわてて、東京行きに乗り換えた。
次の東京行きは、乗るはずの電車だった。無事、大宮まで行き、新幹線に乗れた。二階建てのトキではあるが、いつも思うのは、車内販売がカートでできなくて、持ち運びなのだ。自由席であったが、高崎をすぎるとすいていく。一人で、ぼんやり景色をながめながら、新潟に着いた。
空港までは、バスで行く。一時間足らずで着く。時間が止まっているような町中を通っていく。途中、子猫あげますと張り紙のある小鳥屋を見かけた。小鳥屋で猫という取り合わせも、不思議な感じがした。
新潟空港は、近代的な空港で、ロビーはきれいである。ウラジオストック航空の窓口がないので、案内に聞くと、もうすぐ出国手続きが始まるというので、しばし待つ。ロシア人と思われる人がいろいろ荷物を持って集まってくる。
ウラジオストック航空の飛行機は、エアバスで、アエロフロートのソ連製の飛行機とずいぶん変わったと思うのだが、この航空会社は、ウラジオストックを起点として、主に、中距離の国際線を運営している。新潟を発って、二時間ほどでウラジオストックに着く。国際線なので食事が出るが、食事が出てあっという間に、着陸態勢に入る。沖縄の方が遠いのだけれどね。
ウラジオストック空港の入国にはずいぶん時間がかかった。もともと国際線というよりは、国内線の空港なので、到着便が少ないので、係の者が少ないようなのだ。時差は、二時間であって、空港を出たときは、6時を過ぎていた。ホテルまでは、車による送迎を頼んであったので、ホテルに着いたのは7時を過ぎていた。
ホテルに着いて驚いたのは、中国人の団体旅行客がたくさんロビーにいて、中国語がとびかっていたのである。なんとか、部屋に行って、しばらく休憩して、散策に出かけた。ホテルの前は、海に面していて、海沿いの道を歩いて行くと、有料の海水浴場がある。天気が良かったせいか、若者が多数、集まっていた。
港の方に歩いていると、シベリア鉄道の発着駅がある。すでに、時間も遅かったせいか、人影はなく、駅構内もほとんど人がいなかった。
ホテルに戻って、寝ようとしたが、クーラーがなく、下からディスコ音楽が聞こえ、うるさかった。
2009年7月15日水曜日
八ヶ岳
11,12日八ヶ岳に行く。
天気は、思ったほど悪くはなく、雨に降られることもなかった。行者小屋にテント泊。朝、6時に出て、地蔵の頭を目指す。ツアーできている老人グループがいて、かなりの人数であった。時期的なのだろうか、いろいろな花が見られた。硫黄岳の付近で黄色のコマクサも見た。珍しいのだろうか。
八ヶ岳は風が強く、今回も、風に吹かれて頭が痛くなった。結局、美濃戸口に戻ったときには、頭痛は収まった。たぶん、汗で体が冷えて、頭が痛くなったのであろう。体力がないのだな。家に帰ったのが6時30分くらいであった。その後、選挙に行った。
タイム
12日
行者小屋 6.05
地蔵の頭 6.57
赤岳 7.49
地蔵の頭 8.20
三叉峰 9.09
硫黄岳山荘 10.16
硫黄岳 10.41
赤岳鉱泉小屋 11.50
12.25
美濃戸山荘 1.31
美濃戸口 2.18
2009年6月28日日曜日
高尾山
曇り
子供と一緒に高尾山に登る。六ツ石山に登ろうと思ったのだが、子供が行きたいというので、急遽変更して高尾山に行った。登ったのは6号路で、途中、掲示板があり、自然観察ができるようになっている。むかし、子供の科学教室があって、たぶん、科学振興の一環だと思うが、参加したことがある。たぶん、土曜日に何回か連続してあったのだろう。小学生で高学年ではあったが、一人で高尾まで行っていた。
子供は、小学2年生であったが、思った以上に歩いた。途中、2回ほど休んで、頂上近くのベンチで休んでいたとき、おばさんによく登ったわねえとほめられていた。
頂上で、食事をして、三角点を踏んで、下山した。4号路を通って、途中吊り橋を渡った。小学生の大集団が登っていた。リフトで降りたいというので、リフトに乗ったが、下に着くまで10分以上かかっただろうか。登りはそんなに感じなかったが、子供にとっては結構な登りではないか。リフトで降りるときにわかった。
ケーブルカー乗り場を過ぎて、駅へ向かう途中、昔寄ったことのあるそばやがあった。何十年もたっているが、なんとかやっているのだろうか。きれいになっていた。ケーブルカー乗り場に向かう人出を見ると、高尾山そのものが人気のある場所になっていて、食べ物屋からお土産屋まで潤っているのがわかる。
立川に寄って、細々としたことをして、家に帰った。先週の山の疲れもあったかもしれないのだが、家で、眠たくなって昼寝をした。高尾山もそれなりに良いとわかった。
タイム
8:00 高尾山口
9:20 頂上
9:40
4号路・リフト
10:40 高尾山口
子供と一緒に高尾山に登る。六ツ石山に登ろうと思ったのだが、子供が行きたいというので、急遽変更して高尾山に行った。登ったのは6号路で、途中、掲示板があり、自然観察ができるようになっている。むかし、子供の科学教室があって、たぶん、科学振興の一環だと思うが、参加したことがある。たぶん、土曜日に何回か連続してあったのだろう。小学生で高学年ではあったが、一人で高尾まで行っていた。
子供は、小学2年生であったが、思った以上に歩いた。途中、2回ほど休んで、頂上近くのベンチで休んでいたとき、おばさんによく登ったわねえとほめられていた。
頂上で、食事をして、三角点を踏んで、下山した。4号路を通って、途中吊り橋を渡った。小学生の大集団が登っていた。リフトで降りたいというので、リフトに乗ったが、下に着くまで10分以上かかっただろうか。登りはそんなに感じなかったが、子供にとっては結構な登りではないか。リフトで降りるときにわかった。
ケーブルカー乗り場を過ぎて、駅へ向かう途中、昔寄ったことのあるそばやがあった。何十年もたっているが、なんとかやっているのだろうか。きれいになっていた。ケーブルカー乗り場に向かう人出を見ると、高尾山そのものが人気のある場所になっていて、食べ物屋からお土産屋まで潤っているのがわかる。
立川に寄って、細々としたことをして、家に帰った。先週の山の疲れもあったかもしれないのだが、家で、眠たくなって昼寝をした。高尾山もそれなりに良いとわかった。
タイム
8:00 高尾山口
9:20 頂上
9:40
4号路・リフト
10:40 高尾山口
2009年6月21日日曜日
塔ノ岳
仕事で塔ノ岳に登る。
雨とわかっていたので大倉尾根を登る。バスターミナルの休憩室で登る準備をしていたら、すでに降りてきた親子がいたので、ヒルはいましたかと聞いたら、父親と子供がヒルにやられたと、傷口を見せてくれた。それで、ヒルよけの薬をぬった。大倉尾根は、ずっと登りで、塔ノ岳に至る。老人のクループやヒルを恐れぬトレールランをする人とか、雨の中でも登っている。ある種、毎日曜日登らないと気が済まない人たちなのだろう。コースは、整備されいて、晴れていれば、気持ちよいところだ。ずっと雨に降られて塔ノ岳に着く。帰りもやはり雨。雨具を着ても、汗で濡れ、すっかりびしょ濡れであった。帰り、鶴巻温泉に寄る。少しは疲れはとれたが、ズボンと靴下が濡れていて、何がなんだかわからない状態であった。
タイム
8時20分 大倉
10時40分 天下茶屋
11時30分 塔ノ岳
13時 塔ノ岳
15時20分 大倉
2009年6月15日月曜日
フィルム現像
曇りのち雨
しばらく忙しかったため、フィルム現像をしなかった。日曜の夜にブローニーを現像して、あがったフィルムを乾かして見てみたら、フィルムを青色ぽっく、なにやら、定着が完全でないようなどで、また、定着液に入れて、結局、寝る時間が1時近くになってしまった。
昼間やれればいいのだけど、ダークバックでフィルムをまくと、なかなかうまくいかないのだ。ダークバックの大きいものにするといいのだけど、昔買ったものを使っている。とにかく、暗室用品は軒並み値上がりとなった。いつまでフィルムが使えるのだろうかと思う。フィルムに対するノスタルジーだけでないのだ。アメリカだと、フィルム現像、焼き付けが、大学のカリキュラムとして存在しているのが、この国は、そもそも写真を文化の一部として教育するシステムがない。さらに、フィルムカメラを生産中止にしてしまうところを見ると、過去のテクノロジーを捨て去ることをなんとも思っていない。いったん中止すれば、もう戻れないのだが。
しばらく忙しかったため、フィルム現像をしなかった。日曜の夜にブローニーを現像して、あがったフィルムを乾かして見てみたら、フィルムを青色ぽっく、なにやら、定着が完全でないようなどで、また、定着液に入れて、結局、寝る時間が1時近くになってしまった。
昼間やれればいいのだけど、ダークバックでフィルムをまくと、なかなかうまくいかないのだ。ダークバックの大きいものにするといいのだけど、昔買ったものを使っている。とにかく、暗室用品は軒並み値上がりとなった。いつまでフィルムが使えるのだろうかと思う。フィルムに対するノスタルジーだけでないのだ。アメリカだと、フィルム現像、焼き付けが、大学のカリキュラムとして存在しているのが、この国は、そもそも写真を文化の一部として教育するシステムがない。さらに、フィルムカメラを生産中止にしてしまうところを見ると、過去のテクノロジーを捨て去ることをなんとも思っていない。いったん中止すれば、もう戻れないのだが。
2009年6月7日日曜日
2009年6月4日木曜日
2009年5月17日日曜日
イチゴ狩り
曇り時々雨
毎年、サクランボ狩りに山梨の果樹園に行っていて、今年も思って行ったら、早すぎてまだやっていなかった。一ヶ月早かったのだ。でも、せっかく来てくれたからと言って、園内に通してもらって、赤くなっている物を採らせてもらった。道路のところに「イチゴ狩り」とあったので、できるかどうか聞いてみたら、電話で聞いてくれて、さらにそこまで案内してもらった。しまむら農園という。
イチゴ狩りははじめてで、園の中に入ると、甘い香りがする。いくつか種類があって、食べてみるとおいしい。イチゴは苗で買って、増やして、それをプランターに入れ育てる。一月から食べられるようになり、花は次々咲くので、5月くらいまで採れるという。イチゴの大きさは、大きい物ができると次は小さいものと交互に繰り返すと言うことである。五月の中頃で終わりと言うことで、入場料は一番安い。特に時間制限もなく、食べられるだけ食べられた。でも、そんなに食べられないけどね。
子供が、園の外にいた犬に気がついて、園のおじさんに犬を見せてもらった。甲斐犬なのだが、捨てられたのを拾って、飼っているという。甲斐犬は、もともと狩猟で使われるのだが、鉄砲の音に慣れない犬もあって、きっとそのために捨てられただろうと言っていた。犬にしては苦労していると言っていた。何か、犬にしては苦労していると言う言葉が心に残った。今は幸せなのだろう。
イチゴ狩りを終えて、恵林寺まで行って食事をする。恵林寺の裏のところで草団子を売っている。とてもおいしく、今回やっていたので、買った。家に帰って食べてみたが、やはりおいしかった。
それから、ブドウの丘まで行って、しばし休憩。お風呂には入らなかったが、勝沼の市内が見渡せて気持ちが良いところである。
2009年5月16日土曜日
六ツ石山
曇り
始発の青梅線に乗って、奥多摩に6時に着く。6時8分の鴨沢西行きのバスに乗る。大学の山岳部と見られる集団が乗ってきた。奥多摩に泊まったのであろう。境橋で降りる。6時30分に歩き始める。何台も車が境の部落に向かう。あとでわかったのだが、釣りに来ていたのだ。橋が終わるところを右に道なりに進む。登山道が明示されていないので、何度か行きつ戻りつして入り口を見つける。荷物をあげる軌道を見ながら、道沿いに進むが、GPSを見ると登山道から離れていく。これで、また、道を探すのだが、後でわかったのだが、地図がどうも正確でないようなのだ。もともと、GPSの精度もそれほど正確でないので、誤差があってもしょうがない。本来なら、道に沿って登れば良かったのだが、道のないところを登ってしまった。そのまま、歩いていくと最後の民家を下にして登っていく。杉林を歩いていくが、しばらくして、開けたところに出る。そこで、人に出会う。六ツ石までと聞かれたので、道沿い行って右に曲がれと言う。しばらくすると、ネットで囲まれた場所があり、犬が吠えて人がいた。畑らしいものもある。そこを道に従って、登っていく。開けたところを登っていくが、上の方に猟師がいる。登って何を捕るのか聞いたら、鹿だという。鹿が増えすぎてと言うことが、登山中に鉄砲の音を何度も聞いた。開けたところが終わり、登りは続くが、左は針葉樹、右は広葉樹になる。歩いていて、気持ちが良いところである。しばし登っていくと、マイクロウエブの反射板があり、そこで休憩をとった。9時であった。新緑がきれいであった。トオノクボ手前で、山菜採りの人にあう。トオノクボから、30分ほどで、六ツ石に着いた。9時45分であった。頂上で少し休憩し、石尾根を下った。奥多摩駅には11時40分に着いた。
始発の青梅線に乗って、奥多摩に6時に着く。6時8分の鴨沢西行きのバスに乗る。大学の山岳部と見られる集団が乗ってきた。奥多摩に泊まったのであろう。境橋で降りる。6時30分に歩き始める。何台も車が境の部落に向かう。あとでわかったのだが、釣りに来ていたのだ。橋が終わるところを右に道なりに進む。登山道が明示されていないので、何度か行きつ戻りつして入り口を見つける。荷物をあげる軌道を見ながら、道沿いに進むが、GPSを見ると登山道から離れていく。これで、また、道を探すのだが、後でわかったのだが、地図がどうも正確でないようなのだ。もともと、GPSの精度もそれほど正確でないので、誤差があってもしょうがない。本来なら、道に沿って登れば良かったのだが、道のないところを登ってしまった。そのまま、歩いていくと最後の民家を下にして登っていく。杉林を歩いていくが、しばらくして、開けたところに出る。そこで、人に出会う。六ツ石までと聞かれたので、道沿い行って右に曲がれと言う。しばらくすると、ネットで囲まれた場所があり、犬が吠えて人がいた。畑らしいものもある。そこを道に従って、登っていく。開けたところを登っていくが、上の方に猟師がいる。登って何を捕るのか聞いたら、鹿だという。鹿が増えすぎてと言うことが、登山中に鉄砲の音を何度も聞いた。開けたところが終わり、登りは続くが、左は針葉樹、右は広葉樹になる。歩いていて、気持ちが良いところである。しばし登っていくと、マイクロウエブの反射板があり、そこで休憩をとった。9時であった。新緑がきれいであった。トオノクボ手前で、山菜採りの人にあう。トオノクボから、30分ほどで、六ツ石に着いた。9時45分であった。頂上で少し休憩し、石尾根を下った。奥多摩駅には11時40分に着いた。
2009年5月14日木曜日
聖地巡礼
久しぶりに都会にでる。
恵比寿の東京都写真美術館で開かれている野町和嘉の「聖地巡礼」を見る。モノクロ・カラーともにあって、訴求と言う点では、バランスを欠いているように思えたが、おおよそ、「人間」とは何だろうかと考えさせる写真展であった。人間の生というものが、何か人間の意志を超えて、何かに動かされていることー宗教と呼んで良いのかわからないのだがーを感じる。おそらく、野町が写真にとどめようと思ったのは、そういうことなのだろう。
デジタルカメラで最近撮られた写真と、おそらくコダクロームで撮られたと思える写真があった。野町のコダクロームの写真は、構図が計算された形式美を追求したものといえるが、20数年たってデジタルカメラで撮った写真は、宗教に突き動かされる人間をとらえている点で、野町の熟成を示しているように思える。
恵比寿の東京都写真美術館で開かれている野町和嘉の「聖地巡礼」を見る。モノクロ・カラーともにあって、訴求と言う点では、バランスを欠いているように思えたが、おおよそ、「人間」とは何だろうかと考えさせる写真展であった。人間の生というものが、何か人間の意志を超えて、何かに動かされていることー宗教と呼んで良いのかわからないのだがーを感じる。おそらく、野町が写真にとどめようと思ったのは、そういうことなのだろう。
デジタルカメラで最近撮られた写真と、おそらくコダクロームで撮られたと思える写真があった。野町のコダクロームの写真は、構図が計算された形式美を追求したものといえるが、20数年たってデジタルカメラで撮った写真は、宗教に突き動かされる人間をとらえている点で、野町の熟成を示しているように思える。
2009年5月10日日曜日
2009年5月9日土曜日
2009年5月8日金曜日
2009年5月5日火曜日
2009年4月18日土曜日
2009年4月1日水曜日
西表島
26日に羽田をたって、石垣に到着。風の影響で、沖縄に着くのに遅れる。石垣に乗り換えるのに時間が少なかった。石垣には、5時過ぎに着いた。東京に比べ、暖かい。タクシーで、民宿に行く。もずくを作っている会社が、経営していると言うことで、すべての料理にもずくが入っている。本場だけあって、おいしかった。
27日朝、高速船に乗って、西表に向かう。ここ数日、波が荒くて、高速船がでなかったのだが、天候が安定したのか、上原まで行く。子供が疲れもあって、船の中ではく。上原港は、何もないところであった。宿の人に迎えに来てもらう。宿は、高台にあって、海が一望できた。
小さな子供がいるということで、レンタカーを借りるように勧められた。やまねこレンタカーに電話をしてみると、すべて予約済みと言うことで、来るとき目に付いたオリックスレンタカーに電話。借りれると言うことで、30日まで借りた。結局、これは後で正解と言うことがわかった。
昼を食べに、星の砂まで行く。そこで、八重山そばを食べる。大変おいしかった。
27日朝、高速船に乗って、西表に向かう。ここ数日、波が荒くて、高速船がでなかったのだが、天候が安定したのか、上原まで行く。子供が疲れもあって、船の中ではく。上原港は、何もないところであった。宿の人に迎えに来てもらう。宿は、高台にあって、海が一望できた。
小さな子供がいるということで、レンタカーを借りるように勧められた。やまねこレンタカーに電話をしてみると、すべて予約済みと言うことで、来るとき目に付いたオリックスレンタカーに電話。借りれると言うことで、30日まで借りた。結局、これは後で正解と言うことがわかった。
昼を食べに、星の砂まで行く。そこで、八重山そばを食べる。大変おいしかった。
2009年3月23日月曜日
2009年3月13日金曜日
写真展
晴れ
先日、写真を見に行ってきた。
国立近代美術館での高梨豊「光のフィールドノート」。回顧展と言うことで、初期の作品から見れたのは、収穫であった。正直言って、初期の作品しか、興味あるものはなかった。特に、最近撮ったsilver passinは、まったく意味がないように思える。結局、80年代で作家としては終わっているのではないか。
次に、ZEIT-FOTO SALONでのマイケル・ケンナのMont St Michelをみた。これは、非常に技術的に裏付けされた作品で、参考になった。
最後に、シャネルまで歩いていって、Allureをみる。これは、個人のコレクションで、ファッションがテーマなのであろうか、様々な作家の作品が集められていて、一人の視点からのコレクションで非常におもしろかった。スザンヌ・フォン・マイス個人の関心が見て取れる。
最後に、新宿に行って、ニコンサロンで、矢口清貴「魂は廻る—マブイハメグル」をみる。アサヒカメラで見ていたので、楽しみにしていたのだが、写真の質はかなり落ちる。デジタル出力のせいものあるのかもしれない、雑ぱくな感じがした。
先日、写真を見に行ってきた。
国立近代美術館での高梨豊「光のフィールドノート」。回顧展と言うことで、初期の作品から見れたのは、収穫であった。正直言って、初期の作品しか、興味あるものはなかった。特に、最近撮ったsilver passinは、まったく意味がないように思える。結局、80年代で作家としては終わっているのではないか。
次に、ZEIT-FOTO SALONでのマイケル・ケンナのMont St Michelをみた。これは、非常に技術的に裏付けされた作品で、参考になった。
最後に、シャネルまで歩いていって、Allureをみる。これは、個人のコレクションで、ファッションがテーマなのであろうか、様々な作家の作品が集められていて、一人の視点からのコレクションで非常におもしろかった。スザンヌ・フォン・マイス個人の関心が見て取れる。
最後に、新宿に行って、ニコンサロンで、矢口清貴「魂は廻る—マブイハメグル」をみる。アサヒカメラで見ていたので、楽しみにしていたのだが、写真の質はかなり落ちる。デジタル出力のせいものあるのかもしれない、雑ぱくな感じがした。
2009年1月26日月曜日
EL-Nikkor 63mm
晴れ、寒い
EL-nikkor 63mmがLPL7700で使えるかやってみたら、できたのだが、光の具合を見てみると均一でないような気がする。ブローニーと違って、調子が今ひとつ、ちゃんと試し焼きをしなければならないのだなあ。とりあえず、7700でもコンデンサーレンズを35mm用に入れなくても、できるとわかったので良いとしよう。
ニューシーガルを使って焼くと、黒がしまらないというのか、非常にラチチュードが狭いような気がする。今日、フジブロを使ったら、かなり黒がしまった。どちらかというと汚いと言った方がよいかもしれない。これも、試し焼きをちゃんとやっていないからであるが、フジブロの方が焼きやすいような気がする
EL-nikkor 63mmがLPL7700で使えるかやってみたら、できたのだが、光の具合を見てみると均一でないような気がする。ブローニーと違って、調子が今ひとつ、ちゃんと試し焼きをしなければならないのだなあ。とりあえず、7700でもコンデンサーレンズを35mm用に入れなくても、できるとわかったので良いとしよう。
ニューシーガルを使って焼くと、黒がしまらないというのか、非常にラチチュードが狭いような気がする。今日、フジブロを使ったら、かなり黒がしまった。どちらかというと汚いと言った方がよいかもしれない。これも、試し焼きをちゃんとやっていないからであるが、フジブロの方が焼きやすいような気がする
2009年1月25日日曜日
EL-Nikkor 75
最近、ebayやyahooオークションで、引き伸ばしレンズを手に入れている。LPL7700で、35mmを焼くためにEl-Nikkor 63mmを手に入れてみた。66は、最近手に入れた75で焼いているのだが、絞りリングが、わりと柔な感じで、中古だからとおもっていた。写真そのものには影響はないが、ちょっと、たよりない。で、63mmは、良いかなあと思ったら、新品なのに同じなのだ。これなら、フジノンの方が作りは良いかな。まだ、63mmの方は、焼いていないので、何ともいえないが、とりあえず、LPL7700でコンデンサーレンズを入れないで、焼けるのではと思っている。フジノン75mmは、まだ、新品が手に入るので、そのうち買っとこうと思っている。
最近、カメラは、ローライとライカで十分。引き伸ばし機は、集散光式と散光式で、ネガの調子を見て使おうと思っている。使い勝手は、フォコマートなのだけどね。ただ、どうしてもハイライトが冴えないので、LPLも捨てがたい。
最近、カメラは、ローライとライカで十分。引き伸ばし機は、集散光式と散光式で、ネガの調子を見て使おうと思っている。使い勝手は、フォコマートなのだけどね。ただ、どうしてもハイライトが冴えないので、LPLも捨てがたい。
2009年1月13日火曜日
LPL7700 pro
晴れ、寒い、夕方北風強
アグファの印画紙、キャビネ版と6切りを使って焼いているのだが、キャビネ版の方が、階調は良いようだ。macoから直接輸入したもので、まだ、新しいのだろう。6切りは、何年か前に購入して、そのままになっていたもので、ちょっと黒がしまらない。その点では、イルフォードのほうが良いようだ。
ブローニーのあがりをみると、35mmに比べ遙かに階調が優れているように思える。圧倒的に情報量が多いのだなあ。自分でフィルム現像をしていないので、こういう結果なのかもしれない。いずれにせよ、35mmは自分で現像しないとだめだなあ。
この引き伸ばし機、多階調でないのだけど、使える。75mmの引き伸ばしレンズを手に入れたので、35mmも引き伸ばしてみるつもりだ。
アグファの印画紙、キャビネ版と6切りを使って焼いているのだが、キャビネ版の方が、階調は良いようだ。macoから直接輸入したもので、まだ、新しいのだろう。6切りは、何年か前に購入して、そのままになっていたもので、ちょっと黒がしまらない。その点では、イルフォードのほうが良いようだ。
ブローニーのあがりをみると、35mmに比べ遙かに階調が優れているように思える。圧倒的に情報量が多いのだなあ。自分でフィルム現像をしていないので、こういう結果なのかもしれない。いずれにせよ、35mmは自分で現像しないとだめだなあ。
この引き伸ばし機、多階調でないのだけど、使える。75mmの引き伸ばしレンズを手に入れたので、35mmも引き伸ばしてみるつもりだ。
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