2015年2月22日日曜日

BCJ 世俗コンサートvol.5

二月のコンサートは、今回で終わり。
バッハ プレリュードとフーガヘ短調
オルガン・コラール 「我ら苦しみの極みにある時」
「我はあなたに叫び求めん、主イエス・キリストよ」
追悼行事
世俗カンタータBMV106「神の時こそこよなき時」
「義しき者は滅ぶとも」

ホフマン・メルヒオル・ホフマン
「打ちて告げよ、待ち焦がれし時を」
J.S.バッハ 「候妃よ、いま一条の光を」
今回は、汝の死を憶えよ〜追悼のカンタータと題されている。鈴木がこのカンタータシリーズを始めて、二回の震災、阪神淡路大震災と東日本大震災を経験し、阪神淡路大震災から20年たち、追悼のためのコンサートということである。「神の時こそこよなき時」は、初期の作品で、よく知られた曲であるが、だれを追悼したか不明という。非常に美しいきょくである。最後の「候妃よ、いま一条の光を」は、ゼクセン選帝侯の候妃の死を悼んで、作曲された。ザクセン選帝侯がポーランド王となるため、カトリックに改宗したのに対して、候妃は、プロテスタントにとどまり、敬愛されており、キルヒバッハという学生が追悼式を行うため依頼した。非常に力強く、美しい。今回、ジョアン・ランがでており、最後、いつものごとく微笑んでいた。

2015年2月21日土曜日

陣馬山

 そこそこ運動になって、早く帰ることができると思い、陣馬山に登ることにした。相模湖から登り、明王峠まで行き、陣馬、藤野のコースである。
 登り口が、汚い。ゴミが捨てられ、杉が植えられているので、暗い。沢沿いに登りながら、尾根へと取り付きそのまま、明王峠まで行く。陣馬への尾根は、雪が残っていて、凍っている。ただ、急なところはないので、アイゼンはいらない。陣馬山は、人はあまりいない。頂上は、ぬかるみで、茶屋は一軒のみやっていた。写真を撮って、藤野へ向かった。雪はなく、何組か登ってくる人にあった。
 藤野駅で草まんじゅうを買った。美味しかった。



コース
07:14相模湖駅
07:45貝沢コース登山口 
07:50 
08:12大平小屋跡08:15
08:41石投げ地蔵08:42
08:51明王峠 
08:56 
09:04奈良子峠 
09:14富士小屋山 
09:34陣馬山
09:43 
10:26栃谷尾根登山口 
10:31 
10:39栃谷 
10:55陣馬山登山口 
11:13藤野神社 
11:19藤野


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2015年2月15日日曜日

倉岳山・高畑山

晴れ
先週山に行かなかったので、調子が悪くなったので、行くことにした。年に何回もあるいているので、今更と思うが、 記録を残す。北斜面は、凍っていて、滑りやすい。軽アイゼンを使った。一月の時よりも、雪がない。南斜面、尾根はほとんどない。出会った人は、高畑山で二人、下山で4人ほど。ほとんど登っていない。



タイム
06:32 梁川駅
06:47倉岳山登山口 
06:52
08:43倉岳山
08:50
09:15穴路峠
09:16
09:20天神山 
09:44雛鶴分岐
09:49高畑山(楢山)
09:50
10:05仙人小屋跡地
10:33穴路峠分岐 
11:26鳥沢駅


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2015年2月14日土曜日

N響定期第1803回

原宿の駅を降りたら、チアリーダーのカッコの学生の集団、高校生から小学生までに会う。大会をやっていた。NHKホールのまわりはいつになく、静かであった。

今日は、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のシベリウス「バイオリン協奏曲」とショスタコーヴィチの交響曲第五番。メーネ・ヤルヴィの息子であるが、大昔、エジンバラ音楽祭で、忘れてしまったのだが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だっただろうか、聴いたことがある。

 シベリウス バイオリン協奏曲
ソリスト、庄司紗矢香 名演であった。深い森を歩いているような、音に厚みがある。N響からこのような音が出るとは、驚きで、演奏に対する集中力はすごいものであった。指揮者ヤルヴィに多くを負っている。庄司のヴァイオリンも、スケールが大きく、ライブで聴いて、ファンになってしまった。アンコールは、ピチカートによるもの、シベリウス「水滴」珍しい。
 ショスタコーヴィチ 交響曲第五番。これも名演であった。

2015年2月8日日曜日

新国立劇場「こうもり」

新国立劇場にはいるのは初めて、オペラハウスの作りだなあ。コベントガーデン以来。子供も多い。日曜日の午後だし、演目も「こうもり」だからか。休憩時間、ロビーを歩いたが、なかなか洗練されている。レストランも併設されていた、終わった後食事ができる。今日は、予約でうまっていた。さて、「こうもり」だけど、アデーレが、ちょっと太っていたのが残念。歌は、満足できるなあ。オケは、頑張っているのだけど、なんか違う気がする。ウィーン的でないという言うのか。クライバーの「こうもり」を聴きすぎているのかなあ。時たま入る日本語は、おかしいのだけど、ない方がいいような気がする。演出が笑いをとろうとしているのだが、どうだろうか。舞台が、特にオルロフスキーの邸宅内の書き割りが、錯視を利用しているようで、立体感があり、不思議な感覚がした。

2015年2月1日日曜日

二十六夜山

 天気が良いので、八ヶ岳へ行っても良かったのだが、きっとトレースもなく、スキーがなくては、日帰りでは無理なので、近くの山へ行くことにした。
  梁川で降りて、立場峠を越え、渋沢に出て、そこから、二十六夜山に向かう。浜沢は、秋山村渋沢で、降りてから、右に曲がると、すぐ古びてなかなかいかした饅頭屋があり、そこで酒饅頭を買う。そこのお店の主人、おじいさんと話をしたのだが、三十年前からやっているという。二十六夜山に行くというと、昔は、炭作りのため、一メートルの雪の中行ったそうである。一人で行くのかと、大丈夫かと聞かれた。
 饅頭屋からすぐに左に行く道があって、曲がりながら登っていくと、キャンプ場があり、バンガローが点在している。道は、バンガローの間を通り、登っていく。トレースはない。かなりの急登になり、雪があるのだが、しまっているわけではなく、歩きにづらい。登り続けると、しだいに尾根は細まり、下の方に、渋沢の家々が見える。別の尾根につながる前に、大きな岩のあるところに出て、登り口を見つけようしたのが、見つからず、右側に登れそうなところがあったので、そこに取り付く。一段高くなっていて、とっかかりがあるのだが、右側すぱっと落ちていて、落ちたらおしまいである。取り付いたところから、つぎの一歩がみつからず、雪を落として、とっかかりを見つけ、登ったが、そこで、登り切れるかわからなくなってしまった。降りようと思ったが、降りたら、滑ってしまうことは明らかだった。体を伸ばしてみると、岩の上に届きそうだったので、思いっきり体を伸ばし、滑らないように体を持ち上げて岩の上に出た。岩から左の方へ降りて、少し登ると左手下に巻き道のようなものがあるのを見つけた。間違って、登ってしまったらしい。ここからは斜度は緩やかになり、右からの尾根とぶつかった後、緩やかな尾根道となる。トレースはなく、歩いた人がいない。赤鞍への分岐を過ぎた後、何度か上り下りし、広い尾根沿いを歩いて、二十六夜山頂上への分岐に出会い、頂上へ向かう。誰もいないし、木があって眺望も良くなかった。食事をして、すぐ降りる。尾根筋を下って、尾崎まで降りたのだが、動物の保護柵があって、開けられるのがわからず、柵に沿って下り、いけなくなって戻ったりして、時間をロスしていまった。バス停でバスが当分来ないので、寺下峠を越えて梁川まで戻った。


タイム
07:55倉岳山登山口 
07:56 
09:35浜沢バス停
09:40
11:14明星平
11:39二十六夜山 
12:50下尾崎バス停 
12:59 
13:49寺下峠 
13:56 
15:11梁川駅


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