曇り、昼、暖かくなる。
タイトルは、半年前に読んだ多木浩二の岩波新書の二冊であるが、正直言って読む価値がないように思える。多木のヌード写真を読み解く前提が、あまりに単純すぎる。おそらく、時代的思想的背景と写真機という新しい装置がもたらしたものとの関係が考察される必要があろう。「肖像写真」の場合も同じであり、見る者のまなざしと写真を見ることで、写真に写されたものからのまなざしとの関係では、ある意味、循環論に陥ってしまうのである。多木は、それのことに気づかずに、論を進めているが、なぜ、写真を見る者は、写真の中からのまなざしを見て取れるのか、考察されていないのだ。議論があまりに単純であって、説得力に欠けている。