2025年7月28日月曜日

鳥海山

アプリでは、晴れとあったが、頂上は雲がかかっていた。予定通り、行くことにする。駐車場には8時頃に着く。雪が残っていて、賽の河原、御田、大雪渓路は、今まで1番雪が残っていた。舎利坂に行く石畳の上も雪があった。頂上に着いたのは、13時前で、そこで食事をしたり珈琲を作ったりしてから降りる。下りも、雪のところを歩くので、時間がかかる。祓川駐車場に着いたのは、5時前であった。昨年よりも時間がかかっている。雪の上を歩かなければいけなかったせいか、歩くのがおそくなったのか。猿倉温泉鳥海荘の日帰り温泉に入り帰る。
 
 
 
タイム
8:10祓川駐車場
8:13祓川ヒュッテ
8:23祓川神社
8:29
9:00賽ノ河原
9:24御田
9:32
9:52七ツ釜避難小屋
10:12
10:27康新道分岐
11:14氷ノ薬師
12:50七高山
13:33
14:40氷ノ薬師
14:48
15:26康新道分岐
15:42七ツ釜避難小屋
16:07御田
16:24賽ノ河原
16:46祓川神社
16:50祓川ヒュッテ
16:53祓川駐車場 

2025年7月18日金曜日

会津駒ヶ岳

 家を6時半出て檜枝岐へ。登山口に10時半前に着く。
登山口は、階段になっていて、そこからはしばらく急登が続く。尾根にとりついてしばらく行くとベンチがある。水場の案内がある。ここからは割と緩やかになり、木々の間から駒ヶ岳が見え始めると、木道が現れ、登って先に小屋が見える。分岐のところ雪がのこっていたが、以前来たときは、咲き終わったチングルマがたくさんあったが、まったくない。見かけたのはワタスゲだった。分岐から木道が頂上まで続き、頂上からは尾瀬の山々が見えた。中門岳へ途中まで歩き、同じ道を引き返した。
 
 
 
 

タイム
10:38会津駒ヶ岳滝沢登山口
10:47
11:11ヘリポート跡
12:15水場
12:30
13:55駒の小屋
14:15会津駒ヶ岳
14:32
15:34駒の小屋
15:48
16:39水場
16:46
17:17ヘリポート跡
17:35会津駒ヶ岳滝沢登山口
 

2025年7月13日日曜日

倉岳山・高畑山

 曇りのち晴れ。久しぶりに梁川で降りる。降りたのは、自分を含めて二人だけ。この時期、低山に登る人は少ない。登山口が、変わっていて、登り口がコンクリートで固められ、登山カウンター向かい側の道路沿いに移動していた。沢沿いに登っていて、最後に立野峠まで登り、それからは稜線に沿って歩く。冬に行くことが多かったので、倉岳山への最後登りは割と登りやすかった。頂上に人が一人。休まずにそのまま穴地峠まで行き、そこで休憩。そこから少し登り、稜線従って歩いて行くと、高畑山だが、木が生い茂っていて、景色はあまり見えない。人がいたので、休まず下った。小篠溜池の工事は終わっていた。

2025年7月6日日曜日

滝子山

電車で、初狩までいく。 3週間ぶりでの山行。初狩から滝子山へのピストンで、気温も高く、汗はめちゃくちゃかくし、疲れた。
途中、笹子川を見たりして、登って行ったが、降りてくる人は、3組くらいか。この時期、山に登るのは無謀と言うことかもしれない。頂上に着いたとき、ひとだれもいなく、しばらくして、寂しょう尾根を登ってきた人が一人、通常のルートから人が一人と少なかった。
下りは、女坂を通ったのだが、ここでスリップ。あるいていないせいかもしれない。
 
 

2025年7月4日金曜日

都響 第1023回定期演奏会Bシリーズ

今日は、都響で、アリス=紗良・オット独奏によるラヴェル、ピアノ協奏曲。白いドレスを纏い登場。ライブだからだろうか、聞こえなかった音が聴こえる。気がつかなかっといえばよいか。第一楽章 ハープで、第二楽章 ピアノが終わったあとの消えゆくバイオリン。 アリス=紗良・オットによれば、都響と演奏は、17年ぶりだそうで、今回は、他の演奏を含めて大好きなサントリーホールで3回演奏できるそうだ。アンコールのたびに、靴は履かずに軽やかに舞台裏に走り去るが印象に残った。
 
 
指揮/カリーナ・カネラキス

ピアノ/アリス=紗良・オット
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調

マーラー:交響曲第1番 ニ長調《巨人》

アンコール、ペルト、アリーナから
 

2025年7月3日木曜日

シンポジウム「ルイジ・ギッリ〈ジョルジョ・モランディのアトリエ〉シリーズをめぐって」

 イタリア文化会館でのルイジ・ギッリのシンポジウムがあったので、事前に予約してあった。
写美での日本初のルイジ・ギッリの展示とのコラボである。行く前に、写美に行き、展示をみてから、イタリア文化会館へ。渋谷で半蔵門線に乗り換えたのだが、JRを降りてから迷う。
イタリア文化会館は、非常に大きな建物で、開催されるホールは、地下にあり、降りる前に、同時通訳の機器が渡された。シンポジウムは、 岡田温司とジーノ・ルオッツィが登壇、最後にパネルディスカッションのモデレターとして、写美の山田裕理が行った。 
 ジュルジュ・モランディのアトリエの写真は、須賀敦子の文庫版全集のカバーに使われている。ここで繋がっていたのかと驚く。シンポジウムは、わからないことも多くあったが、今一つという感じを受けた。議論の枠組みが従来のもので良いか、もう一度見直す必要があるように思えた。