曇り
子供と一緒に高尾山に登る。六ツ石山に登ろうと思ったのだが、子供が行きたいというので、急遽変更して高尾山に行った。登ったのは6号路で、途中、掲示板があり、自然観察ができるようになっている。むかし、子供の科学教室があって、たぶん、科学振興の一環だと思うが、参加したことがある。たぶん、土曜日に何回か連続してあったのだろう。小学生で高学年ではあったが、一人で高尾まで行っていた。
子供は、小学2年生であったが、思った以上に歩いた。途中、2回ほど休んで、頂上近くのベンチで休んでいたとき、おばさんによく登ったわねえとほめられていた。
頂上で、食事をして、三角点を踏んで、下山した。4号路を通って、途中吊り橋を渡った。小学生の大集団が登っていた。リフトで降りたいというので、リフトに乗ったが、下に着くまで10分以上かかっただろうか。登りはそんなに感じなかったが、子供にとっては結構な登りではないか。リフトで降りるときにわかった。
ケーブルカー乗り場を過ぎて、駅へ向かう途中、昔寄ったことのあるそばやがあった。何十年もたっているが、なんとかやっているのだろうか。きれいになっていた。ケーブルカー乗り場に向かう人出を見ると、高尾山そのものが人気のある場所になっていて、食べ物屋からお土産屋まで潤っているのがわかる。
立川に寄って、細々としたことをして、家に帰った。先週の山の疲れもあったかもしれないのだが、家で、眠たくなって昼寝をした。高尾山もそれなりに良いとわかった。
タイム
8:00 高尾山口
9:20 頂上
9:40
4号路・リフト
10:40 高尾山口
2009年6月21日日曜日
塔ノ岳
仕事で塔ノ岳に登る。
雨とわかっていたので大倉尾根を登る。バスターミナルの休憩室で登る準備をしていたら、すでに降りてきた親子がいたので、ヒルはいましたかと聞いたら、父親と子供がヒルにやられたと、傷口を見せてくれた。それで、ヒルよけの薬をぬった。大倉尾根は、ずっと登りで、塔ノ岳に至る。老人のクループやヒルを恐れぬトレールランをする人とか、雨の中でも登っている。ある種、毎日曜日登らないと気が済まない人たちなのだろう。コースは、整備されいて、晴れていれば、気持ちよいところだ。ずっと雨に降られて塔ノ岳に着く。帰りもやはり雨。雨具を着ても、汗で濡れ、すっかりびしょ濡れであった。帰り、鶴巻温泉に寄る。少しは疲れはとれたが、ズボンと靴下が濡れていて、何がなんだかわからない状態であった。
タイム
8時20分 大倉
10時40分 天下茶屋
11時30分 塔ノ岳
13時 塔ノ岳
15時20分 大倉
2009年6月15日月曜日
フィルム現像
曇りのち雨
しばらく忙しかったため、フィルム現像をしなかった。日曜の夜にブローニーを現像して、あがったフィルムを乾かして見てみたら、フィルムを青色ぽっく、なにやら、定着が完全でないようなどで、また、定着液に入れて、結局、寝る時間が1時近くになってしまった。
昼間やれればいいのだけど、ダークバックでフィルムをまくと、なかなかうまくいかないのだ。ダークバックの大きいものにするといいのだけど、昔買ったものを使っている。とにかく、暗室用品は軒並み値上がりとなった。いつまでフィルムが使えるのだろうかと思う。フィルムに対するノスタルジーだけでないのだ。アメリカだと、フィルム現像、焼き付けが、大学のカリキュラムとして存在しているのが、この国は、そもそも写真を文化の一部として教育するシステムがない。さらに、フィルムカメラを生産中止にしてしまうところを見ると、過去のテクノロジーを捨て去ることをなんとも思っていない。いったん中止すれば、もう戻れないのだが。
しばらく忙しかったため、フィルム現像をしなかった。日曜の夜にブローニーを現像して、あがったフィルムを乾かして見てみたら、フィルムを青色ぽっく、なにやら、定着が完全でないようなどで、また、定着液に入れて、結局、寝る時間が1時近くになってしまった。
昼間やれればいいのだけど、ダークバックでフィルムをまくと、なかなかうまくいかないのだ。ダークバックの大きいものにするといいのだけど、昔買ったものを使っている。とにかく、暗室用品は軒並み値上がりとなった。いつまでフィルムが使えるのだろうかと思う。フィルムに対するノスタルジーだけでないのだ。アメリカだと、フィルム現像、焼き付けが、大学のカリキュラムとして存在しているのが、この国は、そもそも写真を文化の一部として教育するシステムがない。さらに、フィルムカメラを生産中止にしてしまうところを見ると、過去のテクノロジーを捨て去ることをなんとも思っていない。いったん中止すれば、もう戻れないのだが。
2009年6月7日日曜日
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