2015年9月26日土曜日

BCJ 世俗カンタータシリーズ第六回

今日は、世俗カンタータ。
バッハは、オペラは書いていないが、ディスカウ、フィッシャー・ディスカウの先祖が、領主になったことを記念して、書かれたカンタータで、当時の庶民の生活がかいまみることができる。アリアとレチタティーボからなり、ソプラノとバスのみによるもので、演出により、振り付けがつけられていた。これは、鈴木雅明によると、世俗カンタータは、非日常であり、教会カンタータは、日常だそうである。エルトマンのソプラノは、リリカルで美しく、
コミカルで楽しめたが、それもいつにか死に至る点で、日常とつながっている。
 サイン会があり、エルトマン、ヴェルナー、鈴木雅明のサインをもらい、エルトマンの写真を撮らせてもらったが、iphoneだったので今ひとつだった。

2015年9月22日火曜日

甲斐駒ヶ岳

20日(日)
大学生の時に甲斐駒を登ったことがあった。当時、韮崎から横手駒ヶ岳神社まで出ていて、そこから登ったのだ。あいにく、台風が接近していて、頂上に登った後、雨に降られ、走って降りたのだ。雨のためにヒキガエルがでていて、驚いたのを憶えている。それから、40年ぶりであろうか、黒戸尾根を登ってみようかと思ったのは、高校生の時、甲斐駒に登って大変であって、大学で穂高にいったら楽勝であったという話を聞いたからである。
 長坂まで行って、タクシーで尾白川渓谷の駐車場に行く。すでに、インターネットで調べていたら、北沢峠の小屋は満杯で泊まれないとあったので、どうかと思ったが、駐車場は空きがあった。やはり、黒戸尾根からの登りは人気がないのだろう。

 駐車場の横に茶屋があって、それなりに繁盛しているのではと思った。そこで水がないので、水はどこにあると聞いたのだが、結局、駐車場のトイレの水をくまざるを得なかった。登り口は、駐車場の端にあって、そこからしばらく歩くと左側にキャンプ場があり、さらに進むと竹宇駒ヶ岳神社のところにでる。登山道は、神社の左側に道がつけられており、神社の境内に入る必要がないのだ。すぐに吊り橋があり、そこをわたると登りが始まる。割と急登であるが、しばらくすると平坦になり、また急登が続く。沢音がなくなり、急登でなくなると、笹の平に着く。横手駒ヶ岳神社からの道との分岐である。近くに木が置かれていて、そこで休憩。GPSを見ると、地図の分岐とずれていた。分岐からしばらく尾根を行くと、大きな岩がいくつも重なっているようなところに出て、刃渡りが先にあると思ったら、確かにあったのだ。40年前の記憶は正しかった。テレビで放映されたりする刃渡りであるが、鎖もあるし、それほど危なくはない。その先に、岩をトラバースするような道があり、左が切れ落ちていて、それのほうが恐ろしい。尾根そのものは、大きな岩が積み重なったような感じである。20分ほどで刃利天狗に着く。石碑やお参りするようなものが置かれていて、奥に休む場所がある。そこから左手に登っていき、少し道が開けると五合目小屋跡になる。前来たときは、ここに泊まったのだ。大きな岩の後ろに、レリーフがあり、五合目小屋の由来が書かれており、昭和59年に式典を記念して作られたと書かれているが、今は小屋そのものがない。もう、20年以上たつのだろうか。五合目小屋跡からは、少しく下ると、少し開けたところに出る。右手にハシゴがあり、そこを登っていく。登り終えて、いくつか岩を越え、ハシゴを登ると、七丈小屋が見える。着いたのは、14時30分くらいだった。
 小屋で手続きを済ませ、夕食はどうかと聞かれたのだが、レトルトカレーであったので、パスした。レトルトカレーをもってきたので、レトルトカレーを注文してもしょうがない。管理人は、泊まり客が多いせいか、かなりテンパっていて、食卓を置くから、荷物は置かないとか、後から来た人には、書き方が悪いとかいろいろ文句を言っていた。しょうがないので、自炊用の荷物を持って、第二小屋まで行き、そこで暗くなる前に早めの夕食を作って食べた。食べ終えて、小屋に戻ってしばらくして夕食の準備が始まった。登山客に盛りつけ方は指示して、盛りつけを手伝わしていた。その間、ずっとテンパっていたようだった。食事が終わり、テーブルを片付け、管理人が布団を敷いた。小屋自体は、暖かかく、もうふ一枚で寝た。なかなか、眠れず、夜、外にでると満天の星空であった。

21日(月)
 朝、5時に起き、外で珈琲を作って、パンを食べ出発。七丈小屋の良いところは、水が豊富で、水の心配をする必要がない。これは、大きい。
 第二小屋の脇の階段を登る。すぐに天場があり、そこから登りが続く。遠くに八ヶ岳、北アルプス、奥秩父の山が見える。近くには、鳳凰三山と富士が見える。紅葉が始まっていた。しばらく登ると、小さな社があるところにでる。駒ヶ岳神社本社とある。白い砂地になり、 頂上が近い。そこから、登り、大きな岩のところを左に回っていき、岩の間を登っていくと北沢峠からの道と出会う稜線にでる。そのまま、岩の間を通って登ると頂上で、人が結構いた。仙丈ヶ岳のカールや北岳、間ノ岳が見える。そこでしばらく休み、摩利支天へ向かう。北沢峠から登ってくる人がたくさんいて、中にはツアーで20人以上のパティーもあり、結構、混雑していた。白くざれた道を10分ほどくだり、摩利支天への分岐のところでザックをおいて、摩利支天を往復した。途中、岩のところに降りれない人がいて、ザイルをだして、降りようとしたので、右の方にトラバースすれば、降りれると教えてあげた。しかし、単独行でルートファインディングができないと、危ないのではないだろうか。摩利支天の頂上付近は、大きな岩で、岩の上に剣や社がある。しばらくして、戻った。白くざれたところを下っていって、鞍部にでてからは、岩のあるところが登って、ハイマツのあるところに出て、登り切ると駒津峰に着く。ここからは、甲斐駒の大きな形良い姿が見ることができる。少し休んだあと、双児山に向かう。この頃になると、登ってくる人は少ない。双児山からは、木が多くなり、木の中の道を下っている。北沢峠近くになると道はジグザクにつけられており、北沢峠には、12時半位に着いた。広河原行きのバス停の位置がかわっており、300メートルほどに広河原よりにあって、そこで臨時のバスで広河原に向かった。広河原で、甲府行きのバスが出るのに、時間があったので、広河原山荘へ行ってうどんを食べた。バスは、臨時を含めて、5台出て、夏休みの時より混雑していた。甲府からは、ちょうど臨時の特急に乗れ、帰ることができた。



タイム
20日
08:42尾白川渓谷駐車場
08:43竹宇駒ヶ岳神社
11:02笹の平分岐
12:20刃渡り
12:41刀利天狗
13:34五合目小屋跡 
13:40 
13:48屏風小屋跡
13:53
14:30七丈小屋
 
21日
05:50七丈小屋
08:00甲斐駒ヶ岳頂上
08:50
09:20分岐
09:21
09:35摩利支天
09:45
09:57分岐
09:58
10:30駒津峰
10:50
12:22北沢峠